何を想って歌うのですか?
未だに忘れられない「問い」がある。
まだ20代の頃だったと思う。
出演のためイベントに向かっていた僕は、ステージドリンクを求めて会場近くのコンビニに入った。
レジで会計してもらっているときに、僕が担いだギターバッグを見たからだろうか、店員のおっちゃんがおもむろに聞いてきた。
「何を想って歌うのですか?」
え・・・。
【時間が止まる】とはこの感覚のことなんだろうか。自分の中で ”歌う” という表現と「想い」が結びつ付かなかった。
その時のコンビニでは「何も考えてません~」くらい言ったのかな~^^;覚えてないけど、おっちゃんの不服そうな顔だけが焼き付いてる。アーティストたるもの想いがあるでしょ!?って感じの。。。
自分の中の「衝動」をそっとしておきたい
作った曲の1つ1つには想いもこだわりもある。
でも「歌う」という表現の中では無心なのかもしれない。夢中と言ってもいいのかな?この状態の僕には「想い」をすべりこませるスペースが無いのだろうか。
パソコンで言えばメモリ不足。。。マルチタスクは得意な方だと思ってたけど、こと好きな分野に関してはシングルタスクになっちゃうのかも。自己分析は難しいね。
「好き」に理由はいらない
と言われるけれど、僕にとって音楽は衝動であって「やらずにはいられないもの」。本質的な理由は見つからない。そんな ”衝動” に理由をつけると、その理由が足かせになりそうな気がして怖い。好きなものを嫌いになってしまいそうな恐怖。
「想い」って伝わらなければイライラするし、自分の発した想いに対して何かリターンを求めてしまいそうな、、、そんな感情を音楽に持ち込みたくなかった。僕にとって音楽での表現中は「空っぽ」がちょうどいい。
「純粋」とはちょっと違うけど、衝動は衝動のまま、そっとしておきたいのだ。
それにしても20年近く前の「問い」を未だに思い出すなんて、よっぽどショックだったんだろうなー。自分でも無意識に「メッセージ(想い)が無い」ことに負い目を感じていたのかもしれない。売れてるアーティストと自分との違いはなんだろう??と常に思ってたからね。
「こうあるべき」が邪魔をする
活動に「想い」や「メッセージ性」を強いる場面にはこれまで幾度となく会ってきた。
「メッセージ(伝えたいこと)がなきゃダメ」
これは、ある音楽コンテストで審査員に言われた言葉だけど、「こうあるべき」を押し付けてくる人は多い。僕も自分の中の「こうあるべき」といつも戦っている。
- アーティストはこうあるべき
- 子どもはこうあるべき
- 従業員はこうあるべき
- 人生はこうあるべき
- 地域・社会はこうあるべき
ホント疲れちゃう、、、戦争が無くならないわけだね。
人は変えられないし、自分の中の「あるべき」の解放もなかなかうまく行かないけれど、すくなくとも自分の価値観を人に押し付けることだけはしたくない。音楽の中でも、音楽の外でも。
やはり理念なのかなと思う
「楽しいだけ・好きなだけじゃためなのか?!」という思いと、「アーティストたるもの想い・メッセージを抱えて活動するべきなのか」との間で、長いこと自らの方向性を見失っていたけど、やはり最終的には、自分がどうありたいかなのだと思う。
どうありたいか、を言葉でまとめたものが【 理 念 】になる。
僕には、
「人生を面白がる人を増やす」
という個人の理念がある。何のために自分の命を使っていきたいか、という自分の軸だ。
この理念を ”音楽活動にかける想い” で表現するのであれば、自分を大切にしながら「僕らの音楽でハッピーになる人を増やしたい」になる。
まぁでもこれ、「何を想って歌うのですか?」の答えにはならないかなー。
未だに歌うときは頭空っぽだから(笑)
20年前のあのおっちゃんへのアンサーにはならないけど、歌う意味みたいなものはここ数年でジワジワ固まって来た気がする。意味はこれからもどんどん変わったり見失うこともあるだろうけどね。
やっぱり
「答えは自分の中にある。ヒントは自分の外にある」だね〜^^
こんなふうにして自分の中のモヤモヤに、1つずつ、少しずつ折り合いをつけていこう。
言葉にするとスッキリするから。